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筆ペンで描く【己書】の師範試験に合格しました〜たくさんの応援に感謝です

筆ペンで描く【己書】の師範試験に合格しました〜たくさんの応援に感謝です

こんにちは。【女神の遺伝子コード開花】マリアレイ(R)です。

おかげさまで、合格通知が届きました。

昨年のお誕生月に、ご近所カフェで習い始めた手習いだった筆ペンで描くのが楽しすぎて、コロナ禍で、引きこもっておうち時間とご近所交流を深めていく中で、なんと、師範試験を受けて、先日、合格通知が届きました。

コロナがなければ、なかった師範への道でした。

筆ペンで、クルクル、グルグル、自由自在に描くことが楽しすぎて、夢中になっておりました。

私が描く理由、それは、いくつかあると思っています。

一番は、小さい頃からお習字を習っていて、19歳の時には、師範代試験を受けるかどうかというところまで行ったのですが、大学受験で浪人してしまって、それでも、お習字には通っていました。大学受験を控えた秋のある日、お習字に向かう三叉路で、小さなバンが一時停止しないままに飛び出してきて、私は、乗っていた自転車ごと、4車線道路の中央分離帯付近まで、ぶっ飛んで飛ばされて、一瞬、気を失って、すぐに、正気を取り戻し、ぐにゃんぐにゃんに変形した自分の自転車をお習字のお教室の壁に立てかけたまま、とりあえずは、帰宅しました。もし、あの時、赤信号でなかったら、今頃、こんな風にブログを書いてはいなかったと思います。九死に一生を得た私は、40歳代の頃に、首と腰の骨が少々、曲がっていることに気がつきました。これは、19歳の時のその事故が原因だと思いますが、若いって素晴らしくって、その時は、テニスの部活で鍛えた身体が、しっかりとしてくれていました。ご先祖様や様々なことに守られて生かされたことに感謝しています。

その事故は、さすがに、19歳の私にとって、ショックだったようで、そのまま、お習字に行かなくなってしまいました。

大学受験に没頭し、おかげさまで、奈良女子大学に合格した私は、往復3時間の通学時間を費やして、4年間、大学に通った後は、一部上場企業に就職し、結構な残業もあって、もう、すっかり、習い事に通う時間が見つけられないまま、ワーカーホリックな31年間の社会人人生を送りました。

ヒーラーになる時、人生でやり残してきたものをリストに書いてみました。

結構、いっぱいあって、これは、私の人生の長さで足りますかしら?と思ったことを覚えています。

そのリストの中に、青春の真っ只中で放り出してしまった書道のことがありました。

子供の頃から、ずっと、習い続けていたお習字の先生から期待されていたことは、子供ながらに、私自身が一番よくわかっていました。自転車事故がきっかけで、途絶えてしまったのでしたが、その後もいろいろあって、そのまま、戻れないままになりました。実は、お習字の硯や筆を先生のご自宅のお稽古場に置いたままになってしまいました。(先生のご子息が全部、他のお生徒さんのものも含めて、処分されてしまったそうです。風の便りに聞きました。)

いつかは、先生の元へ戻って、その続きを始めていくつもりだったのが、まるで、浦島太郎のように、気がついたら、ビックリするほどに時間が経ってしまっていて、私自身が、あの頃の先生の年齢を通り越してしまっていました。

2019年のDA PUMPさんの武道館ツアーで、初めて武道館へ行った私は、その武道館に先生が使っておられた書道教室のテキストの事務局を見つけました。これは、先生のお引き合わせだと感じて、私は、DA PUMPさんのコンサートの前に、その事務局で、個人登録をして、ゆっくりのペースでしたが、また、書を書き始めました。しかしながら、元々の私の段位がわかりません。仕方がないので、編入試験を受けて、あの頃とは比べ物にならない下手くそな書で書き始めました。手が落ちる。というのは、こういうことだな。と、内心、自分で自分にがっかりました。私の身体が書を忘れてしまっていました。

買いためていた紙、そして、買いためていた墨、さらには、買いためていた筆です。羊毛の長鋒の筆は上段者用の筆です。あの時は、これを使いこなせて書きこなしていたからこそ、書道展で、かなり高価な筆を毎年、買い足していました。確かに、私は、もう一度、書く気持ちがありました。しかし、実際に、書き出してみますと、悲しいことに、まったく書けませんでした。いわゆる、筆が立たない。羊毛の真っ白な柔らかい長い筆先の根元までを墨に浸して、半切を墨注ぎせずに書き上げていきます。私は、大きな作品が得意でした。確か、30歳代半ばまでは、自宅に半切を広げて、結構、好きな歌などを書いていました。

書けなくなっていることにショックを感じたことを告白しておきますね。時が止まったまま、私を待っていてくれるとでも勘違いしておりました。浅はかなるは我が人生のようです。私は、そのショックを、そっと、心の中で慰めて、それでも、毎月の書道事務局への作品を黙々と書いて送っていますが、まったく、自分でも、こんなはずじゃなかったレベルにしか書けなくて、ションボリです。

そんな中、2019年4月に、時々、お茶していたご近所のハワイアンカフェの1件で、ハガキに書いた筆ペンの文字や絵が、展示されていて、それをカフェレッスンで教えているということでした。私のご近所には、ハワイカフェが2件あります。ほとんど毎日、お茶休憩していたカフェの定休日が水曜日でした。なので、水曜日に、少し、遠い方のハワイアンカフェにお出かけしたんです。そこで、ちょうど、カフェレッスンしていたのが己書でした。その日から、体験で書いてみて、すっかり、楽しくなって、時々、カフェレッスンで書くようになりました。筆ペンは、たくさん、持っていたということもあって、在庫を使って書いていました。

話が、大分長くなっていますが、あと少し、私のなぜ・・・を、書いていこうと思います。

2019年の11月に私の弟の家族から、弟が意識不明で救急搬送されました。と電話があって、意識が戻らないままに、12月末に他界しました。あっという間の出来事で、現実感が抱けないまま、ちょうど、弟とシンクロする時期に、母が左膝を骨折し、入院しました。母の病院と弟の病院と仕事の講座と、息つく暇なく、行ったり来たりしているうちに、弟は逝ってしまい、私は、何よりも、高齢の母のことを案じました。母は、ただ一言、入院先のベッドの上で『後先が逆はあかん』そう言ったまま黙ってしまいました。自分のお子さんがある人ならば、お察しいただけるのではないかと思います。あるいは、ご兄弟を亡くされたご経験がある方ならば、お察しいただけるのではないかと思います。私は、母の前で、気丈に、しっかりした長女でなくてななりません。私が折れたら終わりだという気がしました。平然と穏やかに平常心を保って、母には何事もなかったかのように、毎日を続けていきました。2020年になって、春頃に、母が、やっと、リハビリが終わって退院できました。と、その時、コロナ禍にあって、世間では、外出自粛が始まりました。私は、自宅サロンを閉じて、リモートレッスンがや動画講座の準備に集中しました。

気がつくと、2020年の夏が来て、お盆になると、弟の初盆があります。ちょうどその頃、また、ご近所カフェの筆ペンレッスンにいきましたら、そこで、運命的な出来事があって、師範試験へと道が開いていきました。

筆ペンで書く『三十三観音様』というお題に出会いました。

私は、この三十三観音様を描きたい!と、直感しました。

ご近所カフェのマグちゃん先生が通っているそのまた師匠の1日幸座へ参加してケンちゃん先生に出会いました。筆ペンで書く『己書』の真価を感じたのは、その時だったと思います。ただ、楽しいだけではなくって、もっと、楽しい世界がそこにはありました。

筆ペンで書いて、透明水彩で描いて、自由すぎて、楽しすぎます。

ケンちゃんの1日幸座で、三十三観音様を、一気に、11体、書きあげることができました。ケンちゃん先生は、いはく。『マリアさん、1日幸座で、11体を最後まで完成できた人はいません。マリアさんはすごいです。早く描けるしキレイな観音様です。師匠になって、ハワイでも教えられますね。』えぇ?ハワイですか??そんなことできますか??まさかね。。。と、その時、私は、内心で思ったのですが、ケンちゃんの明るすぎる爽やかさが心に残って、一気に、筆ペンのお題に熱中するきっかけになったことは確かです。私が何かにスイッチが入った時の集中力は、自分でも止められないほど半端ないところがあります。その後、案の定、完全に筆ペンで描くスイッチがオンになって、あっという間に、3級試験、2級試験、1級試験のお題へのチャレンジをクリアして、師範試験を受験することになったのでした。師範試験のご指導はスター師範のケンちゃん先生にお世話になりました。

昨日、大阪でのケンちゃん先生の1日幸座に、参加してきました。ケンちゃん先生はじめ、師範の先生たちも『おめでとうございます』と、何回も、何回もおっしゃってくださって、祝福の中で、本当に、嬉しかったです。昨日の1日講座で描いた作品と、私の己書の師匠との記念写真をシェアしますね。

2021年のカレンダーです。

このお題は、一度、描いてみたかったシリーズです。

あと、お正月になったら、こんな感じですよね。続きは、次回の講座で描きますね。

ということで、休憩時間には、いろんな方からのお菓子の配給がありました。ご馳走さまです。

【マリアレイの己書の師匠さまたちとの記念写真】

・写真右から、マグちゃん先生。マグちゃんがご近所カフェの先生です。お知り合いのヒーラーさんとの繋がりもあって、出会う前から、なんだか、繋がってる感じがしました。私が、今、どうしたいのかを察して、最大限、厚くサポートし続けてくださって、感激でした。本当に、ありがとうございます。これからも、マグちゃんのお題で描くのが楽しみです。よろしくお願いします。

・そして、三つ編みしてるのが私です。(笑)

・私のお隣が、ケンちゃん先生です。ケンちゃん先生は、毎月、大阪で1日幸座を開催して、関西の師範の指導などもされています。己書は名古屋が本部なんです。ケンちゃん先生は、己書のスター師範なので、スターらしさが備わっています。とにかく、明るくて親切なスラリとした風貌です。師範試験対策の時に、普段のお題の時とは違う真剣な感じが伝わる熱血指導をいただきました。私も師範になることへの気合いが入りました。ありがとうございました。これからも、よろしくお願いします。

・一番左がMJ先生です。私の中で、MJといえば、嵐の松本潤さんですけれど、ここにも、イニシャルMJさんがいらっしゃいました。実は、マグちゃんのご主人なんです。MJ夫妻が己書の西関西エリアのお世話係をされていることを、私は、師範合格後の添付資料の中で知りました。MJさんは上席師範です。師範試験に向かって、質問をマグちゃんにすると、マグちゃんがMJさんに確認してお返事してくれました。家族ぐるみで、師範になる人を支援されているようです。ありがとうございます。

最後に、私は、ただただ、楽しく描いていて、師匠になったのですが、何事も、習って半人前、教えて一人前、と申します。

己書のことも、まだまだ、これからです。

私は、日頃、女神の遺伝子開花を主軸とする様々なヒーリングを教えています。その中で、自己ヒーリングをしていくことが重要なのですが、私にとって、この筆ペンで書く(描く)ことは、効果的な自己ヒーリングになっています。

実際、総師範のお話の中でも、夢中で描くことは、小さな子供たちにも、主婦の方にも、働いている方にも、大きなリラクゼーションをもたらすし、何よりも、認知症予防にも役立つとおっしゃっていました。認知症は、一度、発症してしまうと治療が難しいそうです。なので、予防が大事だということで、筆ペンで書く(描く)ことが認知症予防にもなるし、全世代に、良いので、家族みんなで書く楽しみを共有できます。私の感覚では、仕上がった作品が、とっても、満足感あります。自分の作品って、作ると楽しいですよね。自分で書いたハガキを離れているご家族へ郵送したり、額装してプレゼントしたり、思い出が降り積もる己書です。

最初にお話ししましたように、弟の初盆に描き始めた三十三観音様を、先日、おかげさまで満願できました。

コロナ禍にあって、ご近所カフェでの出会いやコミュニティーが、支え合う気持ちを育ててくれています。

このタイミングでなかったら、きっと、師範にならなかった気がしています。

人生って、面白いですね。人生、邂逅し開眼す。とは、なるほど、よく言ったものだと感じています。

たくさんの応援ありがとうございました。

そして、たくさんの己書のお出会いにも感謝申し上げます。

これから、どんな出会いがあるかしら?

私自身も、どんどん、描いて、たくさんの作品を生み出していこうと思っています。

楽しみがいっぱいです!

これからも、まだまだ進化するマリアレイです。

よろしくお願いします。


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