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1.22018
2018年の初詣は、やっぱり、奈良へ!マリアレイの心の故郷は、晴天でした!
こんにちは、マリアレイです。
あなたの中に眠る『女神』の遺伝子の目覚めをサポートします。
マリアレイ(R)は、瞑想家であり、ヒーラーです。
そして、ヒーリング・コミュニケーター(TM)として活動しています。
その使命は、ホリスティックな立場から、ヒーリングをわかりやすく紹介していくことです。オトナ女子が、キラキラ輝きながら、明るく活躍していくために、日常的に五感に意識的に働きかけて、あなたの第六感を磨いていく女神の瞑想法をお伝えしています。
『愛』『平和』『調音』『豊かさ』をあなたの人生にもたらします。
【奈良 東大寺】
あなたの初詣は、どちらへいらっしゃいましたか?
マリアは、毎年のルーティン〜母と一緒に、白味噌のお雑煮でお祝いしたあと、お花を持って、父とご先祖さまへのお墓まいり、その後、近鉄電車で、奈良へ行きます。大学時代に通い慣れた道を歩いて、東大寺を参拝します。
マリアさん、初詣は、神社ですよね?
なぜ、マリアさんは、毎年、東大寺なんですか?
というご質問を、実は、ちょくちょく、いただいております。
もちろん、氏神様への参拝もいたします。
なぜ、東大寺なのかは、このブログの最後の方で、書いてみようと思います。
子鹿さんたちも、初詣してますね。
さて、拝観料をお支払いして、この大仏殿の風景をみると、心から、私自身に戻ります。
さぁ、参拝してみましょう。
この参道を、一心に、大仏様に向かって、歩いていくだけで、どんどん、浄められていく感覚がするんです。
ここ数年は、アジア系の団体の観光客の方が、わんさかいらしゃって、なんだか、大変な状況だったのですが、今年は、いつも通りの東大寺に戻っていました。ホッといたしました。
小学校の教科書にも載っていた、六角燈籠の笛吹の同童です。
朝の太陽が、サンサンと、良いお天気に恵まれました。
大仏殿の高い位置には、大きな扉がついています。
この扉を開くと、大仏様のお顔が望めるんです。
年に2回、大晦日と、お盆の夜を参拝されますと、今でも、扉が開かれていると思います。
いつも、同じお顔のはずなのですが、お祈りをして、仰ぎ見ると、いつも表情が違って感じられるのが、不思議なことです。大仏様のお顔には、自分自身の心の顔が、投影されて見えるのですね。自分の心の有様が、こうして、確認できるのがありがたくて、毎年、しっかり、参拝しています。
混雑している正面から抜けて、ここで、ゆっくり、参拝できます。
東大寺を参拝するたびに、欠かさず、行っていることがあります。
ひとつめは、写経を奉納させていただくこと。
そして、もうひとつは、瓦の寄進です。
伊勢神宮も、東大寺も、古来より、民の寄進によって成り立っています。
この瓦は、実際に、東大寺の補修に使用されるんです。
本殿の大屋根の瓦も、寄進させていただいたことがあります。
書き初めは、寄進の瓦から〜が、毎年の事始めなんです。
大仏様のお守りもいただいたので、そろそろ、帰りたいと思います。
大学時代、マリアは、奈良女子大学に通っていました。
合唱部で、コーラスの部活をやっていました。
昭和の大改修があった時に、その記念式典で、団伊玖磨さんの指揮で、1000人のコーラス『大仏讃歌』を歌ったことがあるんです。その時の記念パネルは、いまもまだ、外回廊に掲げられています。ここに来ると、その時の、親友たちの笑い声や笑顔が、私の心の中に、ポッと、明るいともしびを灯します。
自分の原風景のひとつなのかもしれませんね。
いつだったか、ブログに書いたことがあるんですが、この昭和の大合唱は、どの合唱団でも、参加が可能でした。関西合唱連盟に名を連ねる、素晴らしい合唱団が、たくさん参加しました。その中で、同志社大学男声合唱団、関西学院大学グリーコーラスは、毎年、秀逸な男性コーラスを聴かせてくれていて、私は、大学を卒業後も、定期演奏会に通いました。
この練習会のための幹事会で、(私は、奈良女子大学音楽部の部長だったので、出席していました)かの、ふたつの大学の方から、異口同音に相談が持ち上がりました。『この合唱に参加したいのですが、大学内で、教授会の議題になり、ご存知の通り、キリスト教ですので、参加を控えるようにという通達がありました。もし、参加したら、卒業の必修単位となっているキリスト教学の単位を与えない場合があるとまで、教授会が、強硬に言っています。なんとかなりませんか?』という内容のものでした。私学に通うと、本人がキリスト教でない学生も、大変多いそうなのですが、なかなかに、不便なものだと思って聞いていたことを思い出します。
その後、同志社コマクサ(混声合唱団)のメンバーが、練習に参加していました。『もしものことがあったら、マリアさん、黙っといてくださいね。グリーコーラスの話は、コマクサも同様なんです。でも、せっかくの機会なんですもの、参加したくて、学内でグリークラブの話が公になってしまう前に、最初から、個人参加枠で申し込んでおいたので、私が、参加していることは、クラブの中でも、少数しか知らないんです。マリアさん、国立大学には、こういう宗教的な縛りはないんですか?』
同志社さんと関学さんのことがあったので、私は、もちろん、顧問の教授に、報告しました。その時、東京芸大の作曲科を卒業された顧問の教授は『マリアさん、マリアさんが、みんなと参加しましょうって、決断したんだよね。僕はね、それで良いと思う。僕も、東大寺のすぐ近くで、育ってきたんだ。東大寺が、どんな宗教かっていうことも、うっかり、普通すぎて、忘れそうだった。華厳宗ってわかって、反対する先生方がいたら、僕から、ちゃんと、話すから、安心して、全力を尽くして、歌ってください。』という回答だったのです。懐かしい話です。
かくして、ここへ来ると、その時の顧問の教授のお顔や、他大学の合唱仲間の顔が、いっぱい、思い出されるんです。この時、堀口大学作詞、團伊玖磨作曲の楽譜があったんですが、それも、引越しのドタバタの中で、なくしてしまいました。
持つものがなくなっても、時空を超えて、思い出すことができる次元が、ここにはあるんです。不思議ですね。
外に出ると、看板娘ならぬ、小鹿ちゃんたちが、観光客に、鹿せんべいをおねだりしています。これもまた、いつもの風景ですね。
ご存知の方が多いのですが、余談を申し上げますと、東大寺や、奈良公園で、のんびりしている鹿は、みんな、春日大社の神鹿です。なので、もし、車を運転していて、鹿に当たって怪我をさせたら、交通違反で、罰則があります。これを知っているのに、神鹿をひき逃げする方が多いと聞きます。私の大学時代の教授のご家族が、鹿に当たってしまった時、教授は、そのまま警察に電話して、ちゃんと、鹿を病院へ見届けていました。そのため、授業がお休みになったことがありました。次の授業で、その時のお話を聞き、マリア、ゼミは、その先生のゼミを選んで、卒論を書きました。
誰も見ていないけれど、自分は見ている。だから、ちゃんと、届けて、鹿の面倒も、ちゃんと見るのが普通のことだとおっしゃいました。大人としての責任について、私は、真剣に、その先生のお話を聞いたことを思い出します。決して、器用じゃないけれど、何が正しいのかは、人によって違うけれど、私は、自分の中にも、同じような質があることを知っています。
『マリアさんの結婚披露宴で、あなたの卒論の功績をご披露させていただく日が、本当に、僕は、楽しみです。あなたは、リーダーの気質が備わっています。だから、社会に出て、多くの方に、しっかりとした良い影響を与える日が近いと思います。あなたを教え子に待ったとこを、僕は、誇りに思います。』
先生が、卒業式の後の謝恩会で、手渡してくださった本のト書きに、先生の文字で、そう記されていました。その大事な本は、弟が入院した時に、なぜか、彼の病室においてありましたが、その後、マリアの本棚には、戻って来ませんでした。どうやら、病室へ見舞いにきた誰かに、貸してしまったようでした。誰かのお役に立っていれば良いのですが、いまでも、その本を返して欲しいと思うときがあります。それは、人生の大変な時に、もう一度、読み返したくなることがあるんですね。
大切なことは、心の本棚に、しっかり、思い出せる様にしまっておきましょうね。
今年も、楽しく、いっぱい、学びましょう!
いつも読んでくださって
ありがとうございます
あなたに愛と平和を
わたしに愛と平和を
マリアレイ
わたしに愛と平和を
マリアレイ