ブログ

【己書】師範認定式で道場看板『天海晴明マリアレイ道場』をいただきました。感謝です。

【己書】師範認定式で道場看板『天海晴明マリアレイ道場』をいただきました。感謝です。ありがとうございます。

こんにちは。【女神の遺伝子コード開花】マリアレイ(R)です。

2020年は、コロナ禍にあって、リモートでの講座開催や、動画アカデミーを立ち上げたりして、自宅でのお仕事ができる環境へ切り替えてきました。

そんな中、ご近所カフェでの筆ペン幸座で、楽しく書いていたら、なんと、師範になりました。

ただ、楽しく描くという中で、弟の初盆の頃に出会った『三十三観音様』のお題が運命でした。

ただただ、描き続けるだけで、自分が整っていきました。

しかも、私は、絵がすごく苦手なのに、お手本を見ながら描くと、ちゃんと、描けてしまう。

魔法ですか?(笑)

私の書の名前だった『天海晴明』を復活?!させて、私の道場名を決めました。

【己書(おのれしょ)】天海晴明マリアレイ道場 です。

この立派な看板は、総師範の杉浦正さんが書いてくださいました。

ありがとうございました。素敵すぎます。嬉しいな。嬉しいな。大切にいたします。

私のご近所カフェの師匠〜マグちゃんがお祝いに駆けつけてくださって、師範認定式の後に、届いたばかりの師範の看板と一緒に、記念撮影しました。
 
マグちゃんは、あったかいです。
 
お祝いにマリア色(ピンク)のお花をプレゼントしてくださいました。
 
ありがとうございます!
 
可愛い〜きれい〜お花に癒されます。
 
本当に、嬉しいです。
 
 
マグちゃん先生の手描きのメッセージカードも、すごく、嬉しい!
 
記念に大切にコレクションしておこうと思っています。
 
こうして、あったかいメッセージが描けるようになれたら素敵ですよね。
 
師範になったばかりですが、そういう人になれるように、これから、ますます、努力していきます。
 
ありがとうございます。
 
 
我が家の91歳の母も、『きれいなお花』『(師範試験の合格)おめでとう』と喜んでくれました。
 
なんだか、今年は、大変だったけれど、すごく嬉しい師走になって、しあわせです。
 
 

さぁ、これから、なにしよう。。。(笑)

 

土曜日に、朝から1日かかって、リモートでの師範認定式がありました。

己書29期の師範は、私を含めて『144名』で、これまでの合計にすると、全国の師範総数は1,500名になったそうです。

日曜日に、早速、準備スタート講座というリモートレッスン3部を、一気に受講しました。(私らしいスタートダッシュですよね。火の星座は一気呵成に早いんですよね。)

開業指導の平井先生のリモート講座を受講したんですけれど、朝の8時半から、なんと、3部が終了したのは、夜22時半を過ぎていました。熱血指導で、わかりやすくて、丁寧で、それぞれのレベルに合わせて質疑応答してくださって、感動しました。

己書を生業にされた第1号らしくて、総師範の杉浦先生が、『仕事やめて、己書だけって、大丈夫か?』と、おっしゃったとかで、エピソードトークも面白くって、あっという間に真夜中(22時って真夜中タイムですよね?)になっていました。

今朝は、すっごく、スッキリしている私です。

師範試験を受けようと思ってから、三十三観音様を描き上げて満願し、師範試験のお題にひたすら取り組んで練習して、師範試験を受けに名古屋へ日帰りしてから、あっという間に、師範認定式まで、飛ぶように進んできました。

今年は、おうち時間が長いので、思わぬことから、筆ペン文化の師範になる道が拓けていきました。

実は、私、子供の頃には、書道教室に通っていて、18歳の時に、当時のお教室の最高段位だった4段になり、次は、準師範代の試験というところまでお稽古したのですが、大学受験で浪人中に、書道教室に行く途中に、自転車で交通事故にあって、自転車がグニャグニャ、私は、ライトバンに吹っ飛ばされて、2斜線道路の中央分離帯まで、吹っ飛んだのですが、奇跡的に、無傷で、自転車をそのままに置いて、自宅まで歩いて帰ったんです。

そのことがきっかけだったのかどうか、もう、古い記憶で消えてしまいましたが、そのまま、書道教室へは行かなくなってしましいました。多分、書道の先生には、大学受験勉強を頑張りたいので、と、ご挨拶に行って、励まされた記憶があります。

その後、無事に、奈良女子大学に合格しました。

当時の書道教室は、毎週、月曜日の6時のクラスに通っていました。奈良女子大学の最終講義が終わって、近鉄電車の特急に飛び乗ったとしても、書道教室の時間には間に合わず、大学のサークル活動で、コーラス部に入ったところ、部活が月曜日と水曜日だったこともあって、そのまま、書道教室へは通いませんでした。先生からは、戻って、書の道へ、腕を磨くようにとお話をいただき、30歳の時だったか、会社員時代に、先生のご自宅のお教室へ伺って、再開したこともありました。その時に、書の名前をいただくことになりました。『ここで(書道を)やめてしまったら、筆が立たなくなる。今の技量には戻れなくなることが勿体無い。年齢を経て(書道に)戻ると、枯れた字が書けるようにはなるけれど、このレベルには戻れない。どうするのかは、自分で決めなさい。』小学生時代からの恩師は、そう、明瞭におっしゃったのです。その時のことは、今も、鮮明に思い出します。

その後、その教室に通いにくい事情が生じて、そのままになってしまいました。

世の中は、超バブル期で、私は、メチャクチャに仕事が忙しく、毎月、なかりの頻度で、出張族になっていました。

それでも、書への情熱は、私の中で、くすぶっていました。

それを証拠にと申しますか、私は、毎夏に、書のお道具を、コツコツと買い足していました。

硯、墨、紙、筆

私の部屋には、かなりのコレクションがあります。

2019年の6月に、DA PUMPさんの武道館コンサートで、初めて、武道館に行った時に、かつて、先生の書道協会が、武道館にあったことから、私は、個人でテキスト会員になって、毎月、自宅で書を書き始めました。

ところが、私の恩師がおっしゃった通り、私の腕は、どこかへ去ってしまっていて、もう、あの頃のようには、まったくとして、書くことができません。

私が揃えていた筆のすべては、あの頃の私ならば書きこなせた上級者用のものばかりです。

なんとも、どうしようもないことになりました。

あきらめきれず、書いてはいるのですが、もはや、枯れもいたしません。

そんな中、筆ペンで書いた時、なんとも、この己書の描中八策の手技が、馴染みやすくて、すぐに書けました。

絵はともかくも、字は書けたことが嬉しくなって、筆ペンが、今の私の技量にあっているのかもしれないと思いました。

もしかして、私は、あの青春の頃に、いつかは、書道教室の師範になるという夢があったのかもしれません。

師範って、もっと、年配の人の仕事だと、そう、思っていたことを思い出します。

今、思い返すと、書道の師範にはならなかったけれど、なんと、筆ペンで書く己書の師範になりました。

人生のどこかで、なにかが繋がっていて、未来への扉が開かれていくようです。

書くことが好きなのは確かなので、師範になって、もっと、いろんなお題を書きたくって、師範のお仲間になってみたかったんだと思います。師範になると、総師範のお題なども、練習できるそうなんです。

全国の1,500名の師範の方とも交流しつつ、いろんなアイデアで、いろんなお題と交流して、もっと、おうち時間を楽しむ人生にしていきたいと思っています。

そのうち、準備ができましたら、リモートZoomで己書マリアレイ幸座を開催しますね。

そして、最後にお知らせです。

実は、私の住む大阪でも、私の己書マリアレイ幸座を開催します。

多分、梅田教室と、箕面桜井教室になると思います。

昨日、己書のためのFacebookページを作ったんです。

Facebookをされていない方も見にこれるページなので、また、ブログでもご案内しますね。

久しぶりに新しいFacebookページを作ったので、今から、ちょこっと、準備体操が必要みたい。(笑)

おいっちにぃさんしー?!

準備できたら、お知らせします〜。

どんな時でも、なにがあっても、いつでも、どこでも、きっと、楽しくって、しあわせです。

ありがとうございます。


関連記事

ページ上部へ戻る