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【レムリアン瞑想™のススメ】第6話 人生の挫折その3

hajime02

 

ALOHA 〜!
こんにちは。

レムリアン瞑想™で
レムリアの愛「ALOHA」をお伝えする瞑想家
レムリアンヒーラー、そしてヒーリング・メンターとして
ヒーラーズ・ヒーラーをミッションとするマリアレイです。

第5話からの続きです。

実は、わたしは、2回入院することになりました。
入院なんて、初めてです。
そして、出張や旅行以外で、いつまりは、ホテル以外に宿泊するなんて、それも、長期間。。。

入院中は、すべてが、新しい日々になっていきました。
だいたいが、寮生活のような(マリアレイは、個室でしたが)食事や、鍵のないお部屋(病室には鍵がないんですもの)、シャワーでの入浴、コインランドリーにコインでの乾燥機、いろんな検査は、入院患者優先位なっているのか、時間に検査室へ行くと、待ち時間なく、スイスイ、検査が進みます。
売店で売っている、見たこともない様々な用品、雑誌コーナの品揃え、コピー機のトナーが昔風に、コピーしたら、少し、定着が悪かったり、先生方は、朝の8時に回診にいらっしゃったり。。。
そして、何よりも、12階のわたしのお部屋からは、素晴らしい夕陽も朝陽も見えたのです。
「もう、ここに住みたい!」
いつか、朝陽と夕陽の見えるお部屋に住む!
っというのが、新しい夢になりました。

そんなこんなの入院生活で、少し、体調は改善したものの、根本となる原因は、わからないままです。

わたしは、多分、最初の入院の時に、自分自身のサラリーマンとしての引き際を考え始めたように思います。
会社での、さまざまな仲間の顔が浮かんでは消えて行きました。
毎年、誰かが、過労死したり、だんだん、お葬式がチームワーク良くなっていったり、残業も多く、出張も多く、金額も大きく、やりがいも大きかった。
地図に残る仕事でした。そんな時代の仲間が、一番、絆を感じた仲間だったように思いました。

その頃のわたしのサラリーマン生活は、過去の栄光が残っているだけになっていました。
そして、その栄光の輝きを知っている人など、どんどん、定年していくのです。
わたしは、ポツンと時代に取り残されてでもいるような、そんな気持ちが強くなっていきました。

退院して、1年も経たないうちに、相次いで、お世話になった先輩が急逝されるということがありました。
ひとりは、男性の先輩でしたが、なんと、わたしよりも、4つも年が若かったのです。
入社以来、ずっと、先輩だったその方は、高卒で入社された金の卵の中のおひとりでした。
ご自身のガンのことは、最期まで、本人には告知しなかったそうです。
早すぎる死に直面し、わたしは、驚きました。
わたしが、退院して、ご挨拶に行った時、「今度は、僕が、来週から入院するから、このあとのことは、頼んだよ。よし、顔を見たら、元気そうになったから安心した。これで、あとのことは、全部、安心だ。じゃ、ちょっと、入院してくるから、あとのことは、よろしくね!」
いつもの、あったかい、大きな笑顔で、おっきなからだを揺すって、なんだか、座っている椅子が、他の椅子よりも、小さく見えるくらいに、おおきな先輩なのでした。
そのことから、1ヶ月も経っていないのに、突然の訃報がありました。
わたしは、ひとりで、そこへ行き、ひとり、黙々と、通夜のお手伝いをしました。
一番最期に、お焼香をさせていただいて、その後も、また、黙々と受付の片付けを手伝いました。
友人が駅まで車で送ってくれて、わたしは、長いあいだ、ガタゴトと、深夜の電車に、ひとり、揺られて帰宅しました。
その先輩の訃報の最初から最期まで、ずっと、わたしは、その先輩が、やり残した、たくさんのことを考えていました。
いつも「今は、忙しいけど、定年したら、あれもしたい、これもしたい、子供たちともこんな風な夢があるんだ。どうだ1すごいだろう?!」っと、常に、豪快にして、繊細で、おっきなからだで、いつもニコニコしていて、おおきな声を出したり、怒ったりした姿を見た記憶がありません、まことに、穏やかにして、人望があり、優しいひとでした。

わたしには、しばらく、わけがわかりませんでした。
なぜ、もう、いないんだろ?
そうして、そんなに、早く、逝ってしまわれたのだろう?
やり残したことだらけじゃないですか?
どうして、先に、もっと、少しでも、やれる時に、やっておけば。。。
なぜ、仕事を最優先にして、最期の最期に、やり残したことを残念だと言い残して逝ってしまわれたのでしょう。。。

それから、数ヶ月も経たないうちに、大学の先輩が入院したと知らせがありました。
美しい方でした。姿もスタイルも美人ですらっとしていて、非の打ち所なく、素晴らしい女性でした。
同じ女性に生まれたのに、どうして、こうも違うのかしら?
美人に生まれると、人生得だなぁ〜っと、そんな風に思っていたことを思い出します。
それは、年末で、会社も母の体調も、一緒にお見舞いに行く友人たちとの日程調整も、なにもかもが、バタバタのまま、新年になり、そして、次なる報せが届きました。
先輩が、再入院で、意識不明。。。
あわてて、かけつけましたが、そのまま、意識は戻らないまま、逝ってしまわれました。
わたしは、ちょうど、勤続30周年記念休暇を利用して、ハワイへ、レムリアン・ヒーリング®のティーチャーコースに参加するということで、日本から出発しようとする朝でした。
わたしは、前日までの残業明けで、スーツケースにハワイへの荷物を詰めながら、同級生や前後の学年の卒業生に、手書きの訃報と詳細を書いて、部数をコピーして、全員に封書をしたためて、空香までタクシーを呼んで、そのタクシーの中で、封筒に切手を貼り続けて、そして、空香で、みんなに投函して、そのまま、ギリギリで、ハワイ便に乗り込みました。
もう、なにがなんだか、出発間際まで、いろんなひとから、電話が鳴り続けましたが、搭乗時間なので、電源を切らざるを得ません。そのまま、機内では、一睡もできないまま、ホノルル空香に到着して、いつものガイドさんが迎えに来てくれて、スーツケースを持ってくれて、「チェックインまで、どこに行きたいですか?」っと、聞いてくださった時に、はじめて、はたと、我に返った気がしました。
コンビニで3つのレイ(Lei花輪)を買いました。オワフ島の3箇所の聖地をまわって、そこで、レイ(Lei花輪)を捧げて、瞑想し、祈りました。

 

(次に続きます)

 

あなたに愛と平和を
わたしに愛と平和を
マリアレイ


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